【目標】優秀な卒業論文を書く

仮説が成り立たない・・・

実験室のなかで小規模な実験を何度も繰り返すことのできる研究分野では、実験内容を少しずつ修正しながら、なんども仮説を検証することができます。この何度も修正される仮説を作業仮説と言います。

しかし、私たちの研究分野のように、数ヶ月から数年に渡って栽培試験する場合や、厳密に環境条件を制御できない自然条件下で調査するような場合に、しばしば、あるいは毎回のように、

「仮説が成り立たない・・・」

という問題に直面します。これは非常に深刻な問題です。

時間もお金もない・・

「ぶっかけ実験」は論外ですが、「勿体ない」論文が生まれてくる背景には、その論文の著者が科学論文の執筆に不慣れであることに加えて、実験や調査の結果が「仮説を指示しない」という深刻な問題に直面することが大きく影響していると感じます。

莫大な時間や予算、労力を使って実験や調査をしたにもかかわらず、取得したデータが仮説を支持しない。かと言って、予算や労力の関係で、実験室での研究のように実験や調査を繰り返すこともできない。でも取得したデータを無駄にしたくない・・・・こうした状況のもとで生まれる苦肉の策が、これなのかもしれません・・・・

「仮説を検証したわけではないが(・・・本当は仮説が立証されなかったのだが)、これまで研究されていない研究」事例をとりあえず紹介することで、お茶を濁してしまおう・・・・

一つの実験や調査に長い時間と膨大な労力を要する作物学の研究者として、そうなってしまう気持ちをよく理解できます。しかし、理解できるからと言って、それを正当化してあげる気にはなれません。

相手の立場に立てば・・

そんな態度の著者に対しては、もっと読者の立場に立って考えて欲しいと言いたくなります。

著者が研究に対して一所懸命に時間を費やしてきたと主張するのと同様に、読者も日々の忙しさの中で貴重な時間を割いて論文に対峙しているのです。

それは「科学を進展させるような」とか、「意外性に満ちたような」、新しい知見に触れることを大いに期待しているからに他なりません。

「ぶっかけ実験」は論外ですが、いくら潜在的に新しい知見を備えていたとしても仮説を提示することなく単に「誰も研究していない」とだけ記述された論文では、「またぶっかけ実験か・・・」と誤解され、わざわざ時間を費やして読み進んで貰えなくなる可能性が高ります。まさに「勿体ない」論文です。

世界は厳しい

「仮説が支持されなかったんだから仕方ないじゃないか・・・」

「それまでに費やした苦労を水の泡にするのか・・・」

などという愚痴が聞こえてきそうです。しかし、読者にとってそんな愚痴は何の意味もなく、耳を傾ける価値のない言い訳にしかすぎません。

では、どうすればよいのでしょう?

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