青年海外協力隊

ザンビア(食用作物隊員)】

ザンビアでは,農村開発に従事するNGO (Institute of Cultural Affairs Zambia:ICAZ)へ派遣されました.ICAZは,欧米の大規模NGOが拠出する資金を運用し,多数の現地スタッフを雇用して様々なプロジェクトを実施していました.派遣当初は、プロジェクトの運用スタッフとして活動しましたが,派遣から1年経過した時点でICAZ代表と協議し,私の裁量でプロジェクトを立ち上げることに同意を得たため,以下3つのプロジェクトを立ち上げることになりました.詳細はこちら⇨JOCVザンビア


①足踏み式ポンプを導入するための小規模ローン実施

②ICRAF(現Word Agroforestry Centre)の開発したセスバニア緑肥技術の普及

③カヨーシャ小学校への図書室設置


ザンビアから帰国後,私は修士課程に復帰したのですが,「アフリカの水」に馴染み過ぎたのでしょうか,再度ザンビアへ戻り,後々,修士論文と博士論文の元になる圃場試験を実施することになります.そこでは,深根性植物に観察されるHydraulic liftを灌漑技術として利用する研究を実施した訳ですが,それは勿論,ザンビアの水不足問題へ如何に対処するかが念頭にありました.また,深根性植物としてキマメに加えてセスバニアも使用しましたが,それは勿論,Sesbania Improved Fallowからヒントを得たものです.

タンザニア(食用作物・稲作隊員)

私は,人生で2回も協力隊に参加するという稀な経験をしています.名古屋大学での研究員生活を切り上げ,短期協力隊に参加し,タンザニアのザンジバル島へ派遣されました.ザンジバルはタンザニア連合共和国に属しますが,強い自治権を持ったザンジバル革命政府によって統治されています.本土とは独立した政策を実施し,独自に農業省も構えています.私は,ザンジバル政府直轄のキジンバニ農業試験場に配属され,導入が検討されていたネリカ米の現地適応化試験に参加することになりました.

JICAを通じて、ウガンダからネリカ18品種の種子を入手したものの,具体的にどんなプロセスを経て普及まで持っていくかというアイデアが全くない状況でした.そこで,多環境試験の結果に基づいて数品種に絞り込み,それらを食味試験に掛けて推奨品種を決定するプロセスを提案し,一連の試験を実施しました.試験結果については,Sekiya et al. (2013, Plant Prod. Sci. 16: 141-153)に詳細を記載していますので,そちらをご覧ください.試験結果に基づいて推奨品種が農業省に登録され,現在,ザンジバル島全土でネリカ米が栽培されています.

私のカウンターパートであった人物は,フィリピン大学で修士号を取得後,長年キジンバニ農業試験場でイネ研究を担当してきました.農家出身であることも手伝って栽培が上手く,口やかましいパートさんをうまく統率して,播種から収量構成要素の計測までこなすアフリカでは稀な人物でした.彼のお蔭で,ザンジバル島内の10ヵ所で同時に圃場試験を実施するという離れ業もできたわけです.しかし,彼には表計算ソフトを使用してデータ解析する習慣がなく,折角集めたデータが野帳の中で埋もれていくこと何度も繰り返していました.

そこで,試験を実施すると同時に,エクセルを含めたパソコンの操作方法,統計解析法,報告書作成法などを日常業務の中で指導していきました.したがって,ザンジバルにおける主要な活動は,現地適応化試験で実際に汗を流すということよりも,それに携わる人材の能力開発であったと言えます.もちろん,試験結果に基づいて論文を書いたことも大きな活動の一つです.

一連のザンジバルでの活動が,本土の稲作プロジェクトで活動するJICA国際協力専門員の目に留まり,活動終了後,彼のプロジェクトに技術協力専門家として派遣されることになります.この専門員は,30年以上に渡って途上国の稲作現場で技術協力に携わり,稲作技術は勿論のこと,国際協力の技量でもJICA内で群を抜く存在です.私は,彼の直属で働き,稲作技術や国際協力プロジェクトの運営技術について多くのことを学びました.その経験は,直接的,間接的に現在のバイオエタノールプロジェクトでも活かされています.さらに,タンザニアで新しく始まった天水田稲作の研究プロジェクトへ個人で参加する機会も提供され,ライフワークのアフリカ農業研究を継続でき,非常にエキサイティングな日々を過ごしています.