Muheza

2009年3月26日

Mheza県は起伏の激しい地形で、多くの谷が存在する.そうした谷では,傾斜地を伝って谷底に集積した水を利用し,稲作(谷地田)が展開されている。こうした地域には、NERICAが普及する可能性が高いのではないだろうか?

2010年10月22日

Mr. Shayo(元Kilimanjaro Agricultural Training Centre校長,タンライス業務推進役)と伴にMuheza県庁を訪問し,District Executive Director代理、Planning Officer、Distric Agricultural and Livestock Officer(DALDO)、Crop Officerに面会した。農業省発出のNERICA研修紹介書、NERICA研修概要書、概算書を手渡した。Muheza県には灌漑地区が存在しないため、これまではKATCやタンライスとは縁の薄い県であった.このため,タンライスが推進するNERICA研修に対して反応が鈍い可能性を懸念した。しかし、Crop OfficerがMr. Shayoの教え子であったため,旧交を温めるような雰囲気で面会も和やかに進行し,さらにNERICAの特性が当県の稲作に適合していること、研修経費が意外に安いことなどが好印象を与えて、研修参加に前向きな回答を得ることができた。県による研修経費の負担についても前向きな発言があったが、中央政府から予算が送金されていない現時点では、確約できないということで、詳細は後日交渉することになった。

県庁訪問後,Bagamoyo村(Bagomoyo県ではない)を訪問した.本村は,県庁の北方に広がる丘陵地帯の中にあり,幹線道路から約15km入り込んだ場所に位置している。幾つかの農村開発プロジェクトが実施されてきた結果、生活水準は比較的高く、農村開発に対する村民の意識も非常に高い(直近ではSokoine University of Agriculture: SUAがキャッサバ加工施設を建設)。DALDOが当を研修対象地域に選出した理由もそこにあるようだ。Bagamoyo村周辺では、コメを「女性作物」と呼ぶほど稲作は女性の仕事になっており、集会参加者の約8割が女性であった。Mr. ShayoがNERICA研修について解説を始めると、節目節目で女性が雄叫びをあげ、まるでKitchen partyのように賑やかな集会となった。当村には、4つのSub-villageがあるものの、集会には2つのSub-villageから参加者を得ていなかったため、改めて村議会を開催し中核農家を選出することになった。

<追加情報:偽クボタ?>

Muheza県では、首相号令に従うため、ある会社から耕耘機を40台購入したらしい。クボタ製で、トレーラー、ディスクなどのアクセサリーがついてTsh5,700,000という破格の値段であったため、この業者が落札したらしい。しかし、様々な別売りパーツを合体させた製品で、クボタ製耕耘機とは似ても似つかない代物であった。

2010年3月16日

山口大学 荒木准教授とMuheza県のNERICA圃場を訪問.農家は畑の耕起,堆肥施用を終え,播種するために本格的な雨期の始まりを待っていた.中核農家は,研修以降,毎週火曜日に中間農家のみならず普通農家へも知識を伝達する会合を開いているという.その結果,多くの農家がNERICA種子を要求し始めているということで,急遽KATCのスタッフと相談し,約80kgのNERICA種子をMuheza県に送付することで調整した.訪問の翌日,激しい降雨があり,おそらく播種作業を始めたのではないだろうか?上手く育つことを祈るばかりだ.ちなみに,MuhezaではSupa 80,Moshi wa sigara,Makigendaと言った在来品種を栽培しているらしい.

2010年6月28日

Muheza県のNERICA農家圃場を視察した.山口大学 荒木准教授とMuheza県を視察した際,NERICA研修に参加していない周辺農家の間でNERICA種子への要求が高まっていることを知った.そこで, 急遽,KATCからMuheza県へ追加のNERICA種子(約80kg)を送付した.送付時期が遅かったため,普及員の判断で大部分の種子を次作用に保存し,残りを希望する農家に配布したそうだ.その結果,Muheza県では,68農家(16中核農家+48中間農家+4一般農家)がNERICAを栽培したという.今回は,Semngano村とKibaoni村の7農家を訪問することができた.どの農家圃場でもNERICAは旺盛に生育しており,3~4t/haの籾収量を見込めるのではないだろうか?また,1~2農家の圃場では,5t/ha(籾)近くの高収量を達成する可能性もある.

幾つかの圃場では,葉が黄化しているにも拘わらず高収量性を発揮し,葉から籾へ窒素が転流したことを伺わせた.NERICAは,登熟期間中でも葉の緑色を維持するStay-greenの特徴を持つため,葉の黄化現象には少し驚いた.葉色は葉内窒素濃度を反映する.通常のNERICAは登熟期間中の窒素吸収能を高く維持し,土壌から吸収した窒素でStay-greenを発揮している可能性がある(荒木准教授の元で研修中のMr. Mgangaは,NERICAのStay-greenと登熟期間中の窒素吸収能を研究している).逆に,葉が黄化した圃場の土壌は窒素が欠乏し,NERICAはStay-greenを発揮するほどの窒素を吸収できず,籾(子実)を充実させるために体内窒素を転流させた可能性がある.仮説が正しい場合,この圃場でNERICAを連作すると減収する可能性がある.それを説明し,堆肥施用や輪作導入を勧めておいた.また,Bagomoyo県のケースと同様に,圃場の一部が冠水した場合,冠水部分に生育する植物体の生育は大きく阻害されていた.そこで,播種直後の冠水による生育阻害とその対策についても農家に説明した.

<中核農家1>

Semungano村の天水畑地.降水量が多いときには冠水し天水田のように見える.NERICA1は多くの穂と籾を付けていた.葉が黄化し土壌中の窒素欠乏を伺わせた.苗立ち後に分茎を移植した株からも大きな穂が出穂していた.

<中核農家2>

Kibaoni村の天水畑地.NERICA1は良好に生育していた.圃場の一部が冠水し,そこに生育する植物体の生育は阻害されていた.

<中間農家1>

Semngano村の天水畑地.緩やかな傾斜地に位置する.NERICA1は旺盛に生育していた.傾斜地の底部が冠水するため,そこに生育する植物体の生育は阻害されていた.

<中間農家2>

Semungano村の天水畑地.緩やかな傾斜地に位置する.NERICA1は多くの穂と籾を付けていた.葉が黄化し土壌中の窒素欠乏を伺わせた.

<中間農家3>

Kibaoni村の天水畑地.住居裏の傾斜地でNERICA1を栽培.非常に良く生育していた.村の長老的な存在で,周辺農家への宣伝効果が絶大.

<中間農家4>

Kibaoni村の天水畑地(天水田?).NERICA1は非常に良く生育していた.隣接圃場でNERICA1と同時期に播種したSUPAが瀕死の状態であるのと好対照.

<中間農家5>

Kibaoni村の天水畑地(天水田?).NERICA1は非常に良く生育していた.隣接圃場のSUPAは2~3割の植物体が倒伏していた.中間農家は「もうNERICAしか栽培しない!」と大声で冗談を言っていた.