気候変動下の持続可能なコメ作りについて農家と一緒に考える
【猛暑はニューノーマル】
本稿を執筆している2023年10月中旬、外はすっかり秋めいており、朝晩には冷気をしのぐ上着が必須となってきました。
しかし、今から遡ること2~3ヶ月前、私達は観測史上最も暑い夏を過ごし、外出に命の危険を感じるような瞬間さえ経験しました。「この夏の平均気温 平年比1.76度高く125年間で最高に(NHK 2023年9月1日)」というニュースを連日にわたって目にすることになります。
ここで言うところの「夏」とは7月~8月を指すわけですが、それは三重県稲作で言えば登熟期の頃で、全国的には生殖成長期(幼穂形成期~出穂期)にあたっています。言うまでもなく、環境条件が水稲の収量形成や玄米品質に大きく影響を与える時期で、「新潟県産コシヒカリ1等米比率過去最低か、記録的高温響き0%台推移のJAも」(新潟日報 2023年9月15日)」というように、高温に対して耐性の低いコシヒカリなどの水稲品種では、その収量や品質が大きく低下しました。
被害は水稲にとどまらず「異次元猛暑 各地で爪痕(日本農業新聞 2023年9月29日)」というように家畜や野菜での被害が各地で報告されました。「今後、私たちはこの暑い夏が最も冷涼であったと思い返すであろう(Scientific American 2022年8月31日)」と予測されており、安定的な食料供給を維持していくためには、猛暑条件をニューノーマルとして農業生産現場の適応策を模索する必要があると言えます。
【有機栽培への転換を迫る社会情勢】
2020年5月に欧州委員会が公表した「Farm to Fork戦略」や、2021年5月に策定された我国の「みどりの食料システム戦略」では、食料システムにおけるCO2排出量削減や有機農業(化学農薬や化学肥料の削減)の推進が目標として掲げられ、その動きは2021年9月に開催された「国連食料システムサミット」により世界的な趨勢として定着しつつあります。
世界的な穀物需要の増加や原油価格の上昇に加え、ロシアによるウクライナ侵略等の影響により、化学肥料原料の国際価格が大幅に上昇しています。主な化学肥料の原料のほぼ全量を輸入に依存する我国では、化学肥料の価格が高騰し、「ウクライナ侵攻と円安、農家を直撃(朝日新聞 2023年6月24日)」などと報じられています。農業経営体当たりの経営費に占める肥料費の割合は6~18%と決して小さくなく(農水省 2023)、深刻な事態だと言えます。原油価格の上昇、気候変動による不作、紛争による食料供給網の混乱など、肥料価格を上昇させる要因が今後も発生する可能性は依然として高く、持続可能な農業生産のために化学肥料からの転換を迫られているような状況です。
一方で、安心安全な食品を求める消費者層の割合が増加している結果、有機食品市場は堅調に拡大しており、今後も拡大すると予測されています。慣行栽培から有機栽培への転換は農業政策上の「絵に描いた餅」に終わらず、生産現場の経営判断としても現実味を帯びつつあると言えます。
【猛暑×有機肥料】
以上から、「猛暑をニューノーマルとして有機肥料によりコメを生産する」ことがコメ作りの一つの方向性であるとすると、想定される課題が幾つか浮かび上がってきます。
イネが有機肥料から養分を獲得するためには土壌微生物による分解の過程を経る必要があります。猛暑は地温も上昇させるはずで、これまでの有機栽培の経験とは比較にならないほどの速度で有機肥料の分解が進んでいくはずです。その結果、予想以上に多量の無機栄養がイネ植物体へ供給され、それは一方でイネ植物体の栄養条件を改善して増収に作用するかも知れませんし、他方で倒伏による減収に作用するかも知れません。過剰な窒素栄養により玄米品質を低下させる可能性も考えられます。
従来であれば、イネの生育期間中に分解する有機肥料の割合は少なく、大部分が土壌有機物プールへ組み込まれていたものが、分解速度が速すぎることで、最終的には水田系外へ排出されてしまうかも知れません。
【猛暑×土壌有機物】
昔から「イネは土でとり、ムギは肥料でとる」と言われてきました。これは、イネ植物体が吸収する窒素栄養のうち、肥料に由来する割合よりも、土壌有機物に由来する割合の方が大きいことを意味しています。それでも慣行栽培では化学肥料由来の窒素栄養の割合が30~50%と比較的高いのですが、有機栽培では10~30%と低下し、イネ植物体が大きく土壌有機物に依存していることが分かります。
猛暑による地温上昇は、土壌有機物の分解速度も加速させるはずです。土壌有機物プールのサイズに依存して影響の出始める時期は異なるでしょうが、長期的には地温上昇が土壌有機物を減少させ、イネの減収につながる可能性が考えられます。ただ有機栽培では、有機肥料の分解速度も高まることで増収圧力も作用する可能性があり、両要因の交互作用で複雑な様相を呈するかも知れません。
【農学のイノベーションとは?】
日本農学会主催のシンポジウム「激動する社会と農学(2023年10月7日)」において、登壇者の小林先生(東京大)は「技術者らは、良いイノベーションは多くの人に容易に理解されて、速やかに広まっていくと考えるが、そのようなことはめったに無い(Rogers 2003)」という一節を引用し、「畑や田での発見をもとにして、現場の人が自ら試行錯誤を積み重ねるうちに、結果としてイノベーションにたどり着いたのである。(途中略)現場で生まれたイノベーションには、多くの農家が受け入れやすいという利点がある。(途中略)気候と社会の大きな変化への適応を迫られる日本の農業に、農学が貢献するためには、農学者と現場イノベータがつながる機会をもっと増やす必要がある」と主張しました。
この主張を端的に支持する事例があります。タンザニアのコメ消費量は1960~2022年までに約23倍に増加しました(USDA 2023)。イネの作付面積を拡大することで、急速に増大するコメ消費量を賄ってきましたが、2010年頃に開墾可能面積の限界に到達してしまいました。この間、国立研究所や国際研究機関が多額の資金と人材を投入して多収性品種の導入や育成に力を注いできましたが、収量性に固執するあまり消費者の好む食味形質を軽視してしまい、それらの品種が農家に受け入れられることは殆どありませんでした(Sekiya et al. 2020 Agron. Sustain. Dev. 40: 1-16)。まさに小林先生が指摘する技術者の問題点です。
一方で国際協力機構は、圃場均平化、畦畔造成、条移植に代表される水稲栽培の基本技術により、消費者が好む良食味の在来品種でも増収できることを証明しました。また、それら技術を生産者と一緒に生産者圃場で展示する手法を用いて、全国2万haに技術普及させることに成功しました(Sekiya et al. 2017 Paddy Water Environ. 15: 847-859)。タンザニアのイネ全国平均収量が1.46t/ha(1961~2005年)から2.29t/ha(2006~2021年)へ増加しましたが(FAO 2023)、国際協力機構による基本技術の導入が増収に大きく貢献したと考えられています。研究者の考える「良いイノベーション」が生産現場に受け入れられず、生産現場の求める「イノベーション」すなわち「良食味で市場優位性の高い在来品種を多収化する技術」を見つけ出し、その有効性を生産現場で証明して見せる試行錯誤の成果だった言えます。
【猛暑×有機肥料×生産現場】
「気候変動下の持続可能なコメ作り」を考えていくには、「猛暑×有機肥料」や「猛暑×土壌有機物」が生み出す諸課題に取り組んでいく必要がありそうです。
前述したような諸課題に対しては、既存の知識を活用して論理的な解決策を導き出すことが可能です。そこで、「異常な高温が土壌中の有機物分解に与える影響」といった課題で実験を立ち上げ・・・といように研究を進めて行くことができそうですが、そこには「農学のイノベーション」問題が立ちはだかるでしょう。やはり、「持続可能なコメ作り」に真剣に取り組むのであれば「農家と一緒に考える」ことが不可欠になるのではないでしょうか。
三重大学では、作物学、土壌学、微生物学、食品化学の教員で構成される研究グループが、「気候変動下の持続可能なコメ作りについて農家と一緒に考える」活動を展開しています。それは試行錯誤の連続で、当初は「論文にならない自己満足の地域貢献」と揶揄されるような状況でした。しかし、「求めに応じてとにかくやってみよう」「学生を実践的に教育する絶好の機会」「教員も農業の現実を大いに学んでいるではないか」と自らを励ましつつ、おおよそ8年間にわたって活動を継続してきました。少しずつではありますが、成果が出始めており、本講演ではそれらの一端をご紹介したいと思います。